2011年6月14日火曜日

マリンバの制作

前回モザンビークの木琴ティンビラについて書いたが、今回は隣国ジンバブエの木琴であるマリンバを紹介したい。

まずジンバブエという国は、ショナという民族が王国をつくり、その後ポルトガルやイギリス、南アに支配され、第一次世界大戦後に南ローデシアというイギリス領になった。独立したのは1980年とアフリカの中でもかなり遅い。独立後は順調に経済成長していたようだが2000年からロバート•ムガベの独裁政権により農業技術をもった白人が農場を没収され、欧米諸国の制裁と旱魃により深刻なインフレーションに陥る。現在も経済は破綻しており失業率は非常に高く、そのためここモザンビークにも国境に近い都市にはたくさんのジンバブエ人が居住し働いている。

その中で、首都マプートの音楽学校で教えているジンバブエ人が、マリンバ製作のワークショップを開催するということで今回参加してきた。
ソプラノ2台、テナー、バリトン、ベースの合計5台を同時に作る。


まずフレームから溶接していく。溶接時に出る紫外線とガスは猛毒なのだが、自動車修理や建設現場等を見てもほとんど防備はしていない。

これは鍵盤のキーと長さ。フレームもそうだが、設計の行程を予め確認しミリ単位まで測って正確に製作するところは民族の性格によるものだろう。何人かと話をして感じたのだが、ショナ民族は知性が高い。南部アフリカで最も大きな王国を築き、グレートジンバブエという石造りの建築群を遺した。音楽分野で特筆すべきはむしろムビラという親指ピアノだろう。親指ピアノ自体はアフリカのいたるところで見られるが、楽器の質においてジンバブエのムビラが群を抜いている。

パンザパンザという家具にも使われる木をカットして鍵盤を作る。

水道管を切って同じ素材で底を塞ぎ、共鳴器にする。
写真は作業着だが、モザンビーク人は服装や顔つきでジンバブエ人だと判断できるらしい。

水を入れてみて底から空気が漏れないか調べる。地面にコンコンと軽く打ち、チューナーで音程を確認する。


ベース用の共鳴器はガスボンベで型をとってFRPで作成する。
下部の小さな穴は、ティンビラと同じようにビニールを張りジジーという特徴ある響きを出すためのもので、全ての共鳴器につけられる。

鉄のフレームには蝶番が付いており折り畳みできる。共鳴器はプラスチックで簡単に分解できるため、モザンビークのティンビラと比べて持ち運びと耐久性に優れている。

ノミとカナヅチで中央部を削り音を作っていく。左のゴム球のついたスティックはベース用で、削りながらしばし叩いて音を確認する。

鍵盤の側面に穴をあけ紐を通し、

塗装して作業終了。だがこのままではまだいい響きは得られず、2ヶ月ほど乾燥させてからまた木を削りチューニングし直して完成。

2011年5月25日水曜日

ティンビラについて

ティンビラとは、モザンビーク南部のイニャンバネ州ショピ族が発祥の楽器で、木琴の元祖として知られている。木琴自体は今日世界中で見られるが、どうやら生まれたのはここモザンビークらしく、硬貨のデザインとしても使用されている。


スティックは、木の棒にゴムを巻き付けたりや樹液を固めたりして作る。


鍵盤にはこの地方でしか採れないムウェンジェという木を使い、キーに合った大きさのヒョウタンをその下に固定する。

最大の特徴は、共鳴させるヒョウタンの側面に、直径2センチほどの小さな穴が開いていること。この穴には薄いビニール(昔は動物の腸などが用いられた)が張られており、鍵盤を叩くとその空気の振動でビニールが細かく震え、これをさらに小さなヒョウタン(写真のは右から2番目と4番目しかついていない)で共鳴させることで、独特な響きとサステインを得ることができる。




キーは大まかに切り出した後、中央部を削り薄くする。これにより音量が上がり音程が低くなる。音を下げ過ぎてしまった場合は端を削る。パーツの接合には蜜蝋が使用され、その増減でも微妙なチューニングをする。鍵盤の数は基本18、ベースで4から熟練者で26などさまざまで、響きをよくするため紐でゆるめに固定する。

その音色は例えるならアナログシンセや昔のゲーム音楽にも近いものがあり、深み、暖かみと、こぼれるような愛嬌がある。伝統的には、冠婚葬祭や収穫祭、通過儀礼などで演奏され、低音から高音までのさまざまなパートと太鼓、マラカス、笛、そして歌とダンスによってオーケストラを構成する。一方でそのパフォーマンス性の高さから、都市部のライブハウスでアフロジャズのフロントを飾ることも多い。親から子へとリズムとともに受け継がれてゆき、年月が経つほど木が乾き音が良くなるらしい。

http://www.accu.or.jp/masterpiece/27afr_jp.htm






2011年4月29日金曜日

太鼓について

アフリカの太鼓といえば多くの人がジェンベを思い浮かべるだろう。マリやセネガルなどの西アフリカが発祥で、特に高音域における表現力の豊かさにより,モザンビークや日本を含め世界中に愛奏者のいる打楽器である。普通手で叩き、低音はドゥンと沈むような、高音はカーンと抜けるような音がする。
皮は主に山羊が用いられるが、大きいものだと牛を使うこともある。打楽器においてもっとも重要な特徴は皮の張り方だ。ジェンベの場合、皮を挟んだ鉄の輪に紐を通して、編み込みながら強く張っていく。
作る行程としては、まず木を削りだす。その木の上部に2つ、下部に1つ、皮を紐で張るための鉄輪を溶接する。次に山羊の皮を剥ぎ1日ほど水に浸ける。皮は脂肪を取るくらいで特に鞣したりはしない。そして木の棒で梃子を使いきつくきつく張っていく。最後に日光で乾かし、打面の毛を剃って完成。

対して東アフリカのモザンビークでは、木の杭を打ち付けて皮を張る(低音の太鼓は皮ひもで張るものもある)。ザンビア、タンザニア、ジンバブエなど近隣国の伝統的な太鼓はだいたいこの方法を用いる。日本の和太鼓も原理としては同じ。
ジェンベと違い一度皮を張ったら張り直しができず、湿気ですぐに緩んでしまうため演奏前に必ず火を焚き15分ほど炙る。初めて知ったときすごく儀式っぽいっていうか、なんか神聖な感じがしたんだけど、実際はそこら辺で拾ってきた段ボールとかビニールゴミなんかを燃やしていて、特に祈りを捧げるようなことはない。アフリカに来て感じたのは、とにかくフィジカルだということ。田舎のほうに行けば精霊信仰など原始宗教がまだ残っているようだが、首都圏や都市部ではキリスト教とイスラム教の影響で土着の精神文化はほとんど見られない。だが日々の生活様式や芸術作品をみても、もともとそんなものあったのだろうか、という気になる。少なくともアジアや中南米における信仰とは比較できないほど異なった感覚なのではないか。正直、よくわからない。だがここで肌と肌がぶつかりあい、肉が弾け骨が軋むたびに、この土地の血の鮮やかさがかいま見える気がする。とにかくタフでフィジカルなのだ。
という感じでこちらも一晩水に浸けた皮を、木の杭を石で打ち付けて張っていく。
音色は柔らかく暖かみがあり、それぞれの音域が織りなす調和とポリリズムは深い陶酔と高揚をもたらす。演奏には舞踏が、舞踏には演奏が不可欠で、曲の進行や展開に密接に関わっている。基本は木の棒で叩くが、手で叩くこともある。
参加しているグループで踊っている女の子たち。
練習は土日の午前で、間に30分ほど休憩を挟む。前半は準備運動を兼ねたアフロエアロビクス(的なもの)で、演奏はそれを盛り上げていくように1時間以上粘り強く引っ張る。後半に伝統楽曲を確認しながら練習している。ときどき地区の記念式典や結婚式など近隣の催事に呼ばれて演奏する。

2011年3月25日金曜日

楽器製作


友達のパウリート。家が近所でジェンベの師匠。ナマズを買ってきました。300円くらい。去年キャンプで食べたけどクサくて骨多くてマズかった。

パウリートは、普段は町役場みたいなところで働いていて、ゴミを集めたり草を刈ったり、病院で亡くなった人の遺体をお墓に運んで埋めたりしている。休みの日には子どもたちにダンスやカポエイラを教えていて、自然と文化を大切にしている暖かい人。

以前からずっと一緒に太鼓叩いていて、楽器をつくる計画を立てていたんだけど、今回ナマズとともにヘビを手に入れてきたので、皮を剝いで太鼓をつくることになった。

体長50センチくらい。死んだときに腹が破れたらしく半分消化されたネズミがはみ出していて、大量の蠅がうなりをあげ、例えるのもオゾましい強烈な腐臭がしていた。

少しずつカミソリで皮を剝いで行く。解剖してみるとヘビの体内がよくわかる。

動物の皮を剥ぐこと自体初めてだったけど、かなりきれいに取れた。なんて残酷なことをしているんだろう!と思った。

最近雨期が終わりに近づいていて、ヘビをよく見るようになった。先週も浴室に小さな黒いヘビがいて、外に出したら子どもたちが殺してしまった。その後塩をまいて紙で死体を燃やしたんだけど、どうやら古い習慣で、別のヘビを呼ばないためらしい。次の日大家さんが15センチくらいの木片をもってきて、それを燃やすとヘビがこなくなると言っていた。こっちのヘビは小さくても毒があるらしく、見つけるとすぐ殺してしまう。


皮は2日ほど水に浸けてから竹筒に張り、完成!

2011年3月18日金曜日

授業始まりました

ようやく今年の授業が始まりました。昨年は7クラス250人いた生徒が今年から4クラス100人程度に減ってしまったので(政府の意向で量より質をとるとのこと)、美術の授業は週2日の午後だけになりました。
ちなみに僕のいる学校は教員養成校で、生徒は1年のカリキュラムの中で小学校で教える全教科の教育法を学び、卒業した後先生になります。全寮制3食付きで授業料も全額免除、選抜された生徒は理解力も学習意欲も高く、年齢のほとんど変わらない僕に対しても敬意を持って接してくれます。

美術の分野は立体造形と視覚芸術に分かれており、僕は立体造形のほうを担当していて、全国で統一されたオールカラーの教科書(生徒は持っていないけど図書室に数冊ある)に沿って授業を進めます。内容はなかなかしっかりしていて、型、陶芸、紙、金属、木工、織り、裁縫、農林畜産と料理まで含まれるのですが、それを1年でこなさなくてはならない上に素材も道具も全くと言っていいほど不足しているので、授業の半分以上は教室で理論を教えていました。でもやっぱり美術の面白さって手の中でものができあがっていくことなので、リサイクルとか身近な素材を取り入れながらなるべく制作の時間を増やしていきたいと思っています。

というわけで最初の授業は陶芸です。といっても学校には窯もなく、なにより僕自身ほとんど経験がないので少し心配でしたが、

とりあえず近所のダムまで粘土を探しに行くことにしました。僕の住んでいる町ナマアシャは山脈の中に位置するため比較的水が豊かで、ポルトガル植民時代に作られたダムが僕が知っているだけでも5つくらいあります。
 蓮の花が咲く穏やかな土地です。
山に囲まれていい気持ちな午後のピクニックでした。
 蛙や蜘蛛や蛇が出て大変でしたが、
無事粘土を発見。黄色、茶色、灰色が混ざっているものをよくこねて使います。
 学校に戻って制作開始です。
 爪楊枝、針金、ロープ、ボトルキャップなどを使って模様をつけました。
 粘土板もないので屋外で。みんな楽しそうでした。
この後本来なら2週間から1ヶ月ほど乾かし窯で焼成するのですが、学校に窯がないため今回の授業はここまでです。今年中にレンガを積み上げて窯を作りたいなと思っています。
国立美術館に展示してある陶器製の太鼓です。ヤギの革を木の杭で張っており、冷たく澄んだ水みたいな音がします。これを作るのが目標です。

2011年3月13日日曜日

海の向こうで

本当に悲しいことが起こってしまいました。自然の力、防ぎようがないとはいえあまりの被害の大きさにただただ驚くばかりです。亡くなった方々、遺族の方々、怪我をしたり避難している方々、そして今も救助を待っている方々、たくさんいると思います。インターネットのニュースで泥に浚われた町の写真を見ました。本当に心から、救済を祈っています。

日本で地震の発生した直後、ジャイカスタッフから連絡を受け、すぐにネットでニュースを見ました。真っ先に頭をよぎったのは原発でした。地震発生直後は「自動停止したため問題ない」とのことでしたが、放射能は漏れてしまいました。

自然の力はもちろんですが、今日私たち人間が手に入れてしまった力も非常に恐ろしいと思います。原子力、遺伝子、世界経済、情報通信技術、一歩間違えば地震や津波以上の被害をもたらすでしょう。加速していく欲望はどこへ行くのでしょうか。ここ数年、異常気象や自然災害が多発していますが、やはりなにか繋がりがあるのでしょうか。

アフリカでの暮らしの中で、新しい生き方を模索していきたいと思います。

2011年1月11日火曜日

あけましておめでとうございます。

2011年よい年になりますように。

年末年始はビーチで過ごしました。マーケットで友達になった人たちとパーカッショングループを組んで連日ショウをしていました。年越しの瞬間はどこからともなく花火が上がり、熱狂の新年でした。

去年の年始は満月でしたね。東京御岳山の老杉の間から御来光に薄められていく満月がきれいでした。確か部分月食したと思います。今年は月で、浜辺でキャンプしていたので海の上に降る星がとてもきれいに見えました。音と自然と仲間に囲まれて素晴らしいスタートを切れたと思います。

2011年の抱負は健康に過ごすことです。こっちに来てから健康がいかに大事か、身にしみました。今年は積極的に運動しようと思います。ねらっているのはカポレイラとヨガと自転車です。




ところで、ラスタファリのセレモニーに参加しました。

ラスタファリズムというのは1930年頃ジャマイカを中心に起こった宗教運動で、ざっくりいうとアフリカに帰ろう、自然に寄り添った生きかたをしよう、というものです。
エチオピア正教と密接な繋がりがあり、1月7日は東方三賢者がキリストを祝福した日ということでのセレモニーでした。昼間はリラックスした雰囲気で、木陰で昼寝したり炊事したりし、日が暮れる頃に白い服に着替えセレモニーが始まりました。はじめは聖書を読み厳かな雰囲気でしたが、次第に歌と太鼓に入れかわり火が焚かれ、その火の周りをぐるぐる回りながら夜の中に陶酔していきました。

 葦の草原が見渡せる素晴らしいロケーションでした。
 みんな本当にウェルカムでポジティブで素敵でした。ドレッドも個性に溢れてますね。
 Tシャツは1930年に即位したエチオピアの皇帝、JAHの化身ハイレセラシエ1世。後方の丸い鍋が鼎です。
敬虔に神様を信じてる人は美しく、ある種の強さを持っているように思います。